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追悼 県副コミッショナーの小江さんが亡くなった。残念です。とても残念です。48歳の若さで、なぜ。 これからするべき事、やって欲しいことがあったのに。小江さんじゃなければ出来ないことがいっぱいなのに。 いろんな場面の顔を思い出します。手を振り、頭を掻きながら、顔を突き出しながら、目をひん剥いて、机をたたきながら、タバコをくわえながら、タオルを首にかけ、出っ張った腹をさすりながら、色んな小道具を取り出し、「酒飲んどるから言うけど」といいながら、吠えていたね。 私を、そして多くのスカウト指導者を支えてくれました。まだまだ、支えて欲しかった。一緒に県の合同野営大会、沖縄の九州大会に参加したかった。一緒に、20年後、俺たちの県コミ時代はああっだった、こうだったと、後輩に嫌がれながらも色んなことを伝えたかった。言葉では言えない数々の思い。心から、冥福を祈るばかりです。 人はいつか死ぬ。死ぬために今生きているとも言えます。私はちかい・おきての実践はまだまだ不十分で、まだ死の準備はできていません。しかし、今出来ることは精一杯努力しなければ、小江さんとあの世で会った時に顔向けできません。今ごろは、B−Pと小さな火を囲んで、Welcome Party を開いてもらっているかも。 2003年12月3日記載 |
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目標に向かって 県コミッショナー 浦田健司
目標を持った人はすごい。 映画の予告で「オールドルーキー」というのを見ました。30歳を過ぎた高校の野球監督がメジャーリーガーになる物語です。テレビはほとんど見ないのですが、NHKのプロジェクトXは欠かさず見ています。長い期間、そして多くの仲間たちと一緒に大事業を成し遂げているドキュメントです。みんな自分の目標に向かって努力した人たちで、その結果が自分の夢の達成であり、社会に貢献する大事業の成功なのです。ノーベル賞を受けた田中耕一さんを見ていてもわかるように、ノーベル賞をもらうのが目的で研究をしていたわけではないのです。 ローバースカウトやベンチャースカウトにとっては、真剣に将来のことを考える時期にあります。このとき、スカウトにとって、それまでのスカウト活動の成果がどのように影響を及ぼすかによって、スカウト運動の真価が問われるのでしょう。少々大げさだと思いますが、これまで一人のスカウトに対しどのような指導助言を行ってきたかが、明確に現れることになり、指導者のそれまでの関わりによって将来設計に影響を与えるなど、責任は非常に重いものと受け止めなくてはなりません。 2003年1月記載 |
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新年にあたって 県コミッショナー 浦田 健司
新年明けましておめでとうございます。この一年が、皆様方にとって飛躍・充実の年でありますよう心よりお祈り申し上げます。 |
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誕生日 県コミッショナー 浦田 健司
この世に生を受けた日、それが誕生日。幾つになっても、この節目を喜び、まわりの皆も祝ってくれます。この誕生日について、永六輔氏はあるラジオ番組で次のような話をしていました。 2月22日、およびその前後で、ボーイスカウト運動の創始者ベーデン・パウエル卿の生誕祭が行われたのではないでしょうか。生誕をテーマに色々な行事・集会が、隊・団・地区などで実施されることは、創始者の基本理念に基づいて展開されるボーイスカウト運動にとって非常に意義深いことです。しかし、このテーマを設定しながらも、年中行事として軽率に取り扱われたところがなかったでしょうか。たとえば、集会のタイトルをBP祭としながらもプログラム内容はこれとの関連性が薄いといったことや、事前の学習や理解がない上でのBPに関する単純な○×ゲームなど。 “母の日”の意にそって2月22日を考えてみると、ボーイスカウト運動を産んでいただいたBP卿への感謝と、彼が目指した本運動の本質の理解をスカウト、指導者、支援者が再確認する、スカウティングの原点を見直す日ではないでしょうか。これからの生誕祭をテーマとする行事・集会は、このような意図が十分に込められたプログラムであってほしいものです。そのためには、成人指導者が本運動についての目的・原理について常に確認をすることが大切であります。 このようなことを考えているときに、広島県連盟の於保信義氏が個人的に書かれた「スカウティング解体新書」を手にしました。これは、スカウティングの目的、原理、方法が定められた世界スカウト機構規約の一語、一文をわかりやすく説明した本です。スカウティングを一皮一皮剥くような楽しさと、規約に込められた多様で奥深い意味を感じることができ、ぜひ多くの人たちに読んでいただきたいと思います。 2002年3月1日記載 |
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「今年は!」 県コミッショナー 浦田 健司
おけましておめでとうございます。本年もよろしくご指導いただきますとともに、一致協力して青少年の教育の一翼を担っていきましょう。 2002年1月15日記載 |
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